都会生活の中での盆栽
昨日id:motosixさんから
「ボケの花の色彩をデジタルで表現するのは難しいんだよ~」
と言われ、ハッとした。
ひょっとしたらネット上には存在しない色が、
ぼくの家のベランダに存在してるんだと。
これはぼくみたいにネットの世界に
どっぷり漬かった人間からすると改めてすごいこと。
1度も行ったことのないニューヨークのセントラルパークに
どんな樹が生えているかを見て知ることもできる・・・
世界はネットを通じて見る知るものということが当たり前のぼくには
ネット上に存在しない世界というものが逆に新鮮なのだ。
しかもそれが単なる知ったかぶりの言葉じゃなく、
実際に自分のすぐそばで起こって実体験できてるということに意味がある。
おいおいどうした?
今日のタカヒロはやけにアツいじゃねえか?
ここんところ植え替えや自動潅水ばかりで頭おかしくなったのせいもあるし、
つい最近、hatenaブログでかなり良い刺激を受けたせいもあるねw
まあそれはともかく、
ぼくにとって盆栽は新鮮なもの。
ビルに囲まれた生活空間、日々パソコンやスマホの画面に向かう日常。
まわりにはシュッと形の整ったきれいなものしかない。
机だってそう、一応材質は木なんだけど、
直線的で無機質に感じられる。
そんな中、盆栽の樹の形はすごく異質なものだ。
ぼくの机の上のパソコンの横に盆栽が置かれてるさまを想像して、
ギャップがあればあるほどなんだかゾクゾクしてくる。
もしぼくが田舎に住んでいたら盆栽にハマっていなかったかもしれない。
ざらざら荒れてる肌がいい。
太ってるの大歓迎。
年を取ってる方がいい。
人間の容姿に対する価値観とは全く正反対のものが好まれるのが盆栽。
そう思うとおもしろいよね。
緑ってわけじゃない。
緑に癒されるわ~って話じゃなくて形とか質感とか。
まあ緑も一部あるけど、それならガーデニングで事足りるわけで。
ぼくは今まで植物に全然興味のない人間だった。
昔から自然が好きで緑が好きで植物も好き、その延長としての盆栽・・ではない。
自然、緑、植物、それがどうした? から一足飛びで盆栽好きになった。
不思議なもんだけど、
いまとなってはその理由が少しわかる気がする。
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