自然盆栽研究
先週の例会で先輩Aさんが古い盆栽雑誌を持ってきて
「ほれ、これ読んでみろ」
と貸してくれました。
昭和53年って1978年ですから今から36年前の雑誌です。
タイトルの「自然盆栽」ってちょっと変ですよね?
盆栽歴の長い人ならわかるかもしれませんが、
すでにこの頃には"人工的な"盆栽が主役へと登りつめてたんですね。
それを意識した「自然」ということらしいです。
こんな雑誌を紹介すると、いかにもぼくが自然盆栽を支持してるか
と思われるかもしれません。
でも、普段の日記を見てたらわかるようにぼくが今やってるのは
人工盆栽です。
人工7 自然3
いやもっと人工に重心がかかってるでしょうか。
この雑誌に否定的に書かれてある針金ぐるぐる巻き、ぶった切り、
らしくない樹、そういうのばかり求めてきましたからね^^;
結局自分の好みの問題になってくるので、
なかなか変わらないとは思うのですが、
自然盆栽という考え方も知っておいて損はないと思いました。
では「自然盆栽研究」の内容を一部抜粋してみます。
◆自然盆栽の誤解
自然盆栽を深く知らない人は、自然盆栽と言うと自然にほおっておいて、
いわゆる自然放置盆栽という、こういう概念がほとんどなんですね。
自然盆栽とは1つの樹が持つ本当の個性を引き出して生かして行くということで、
それは一鉢の中で美しい熟根熟枝に完熟せしめることです。
私は自然盆栽というものが唯一絶対のもの、という観念を持ちたくない・・
真に良いものは、そういう排他的な事をしなくても、自然に淘汰されて残っていく。
◆盆栽と鉢植えの違い
普通の鉢植は、主として花とか葉とか部分的な美しさを鑑賞するものですが、
盆栽はそのような部分だけでなく、全体の樹の姿や鉢の調和まで含めて、長く常に鑑賞できます。また、鉢植は短い日時の消耗的鑑賞にしかなりませんが、盆栽は、適切な培養や整姿を行っていれば、樹木は自然の山野に競合し風雪にさらされて生きるよりも長く、数十年数百年の生命を保ち、樹の格をあがって、立派になっていきます。
良い盆栽はだれが見ても美しく、自然に鑑賞されるもので、
変な形や奇怪なものや、人工を加えすぎたり、捩じ曲げた木は盆栽ではありません。
◆商業的な盆栽
結局、どっちが卵で、どっちが鶏か判らんけれども、
業者はメシが喰えなきゃしょうがないから、メシが喰えるようなものを売るようにするし、お客の教育もそういう方向でやっているわけでしょう。それが逆にそういうものを求める人が多いから、そういうものを作る、という事に結びついて来るし、これはどこまでいってもキリがない。だから盆栽っていうのは、大衆化されて、たとえば僕らの「自然盆栽流」というのが、ドンドン発展していって世の大勢を占めれば、業者はイヤでもそれに従わざるを得ない。
◆まわりに樹がある環境の人が人工的な盆栽を買う理由
環境が良すぎているのかな、良すぎて、
自然の樹と盆栽は違うもんだと思っているのかな、樹形的に。
うん、違った方が盆栽という意識なんだよ。
ううん・・・なるほどね・・・その通りだわ。
だからお金を出してまで買おうとする訳だよ。自然の樹だったら、
そんなもんそこらに生えているからいいやってなっちゃうんだと思うよ、きっと。
◆針金、段つくり
針金かけの段つくりっていうのは、
西欧の庭や樹木などの非常に幾何学的なのものと共通することじゃないかな。
日本の国にそうじゃないんですよ、自然を上手に取り入れて、自然の中に自分を生かしていくっていう方法でしょう。それが本来の日本の美しさですよ。ところが今の日本の盆栽というのが、一の枝二の枝うら枝、それで頭をつくっていく、これは完全な幾何学模様とある意味で同じですよね。
↑(抜粋ここまで)
自然盆栽といっても造形そのものを否定するわけじゃないんですね。
いつになくコメントしづらい記事ですみません。
備忘録として載せています。
人それぞれ好みや立場がありますから、
今回はスルーしてもらって結構です。
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